材料屋のこだわり

暑い夏の後、あっという間に寒い冬を感じる毎日になってきた。

我等の会社は裏なのか表なのか分からないが、日本海まで車で20分という近さの所にある。毎年のことだが山をいくつか越えて南に向かうと晴れ間が見える。

季節が進むと雪も降る。

知らず知らずのうちに引きこもってしまう。

こういう時は鋭気を養うのか、少し休むのか、、、いや、ムズムズしてしまい、じっとしてられない。

スタッフのブログにミニトートの紹介があったが、帆布のトートの撥水は、実はビルの外壁に使う溶剤を縫製後にコーティングしている。

したがって縫い目にも溶剤が染み込んでいる。トートの口が開いているからそこから水は入るのだが、靴に防水スプレーをかけるのと同じ原理。

また、ナイロンは防水をあえてしていない。柔らかい革にレーザーでattikuのマークを表に、裏側にはドメインを入れている。革の風合いをそのままに。

こちらはお客様のマークやロゴを入れることも出来る。

まだサイトで受注を受けることは出来ないが、一つでも対応したいと考えている。

ご要望はinfoへどうぞ。

大きさや、底の硬さ、ポケットの付け方など拘りながら何度も作り直してモニタリングしてきた。

男性でも女性でもそのシーンにマッチするよう作った。

何かの記念に一つだけの特別なものにするも良し。

この冬ゴルフから少し遠のく間、カメラを入れて散歩してみようかと思う。

タンブラーのコーヒーも溢れないようになっているから。

時の流れを想う

前回更新したブログから約1年が経過します。
この1年、ブログを1度も更新せず、何をしていたのかとお思いの事でしょう。
1年というと365日であり、8760時間であり、525600分になります。
この時間を長いと思うか、短いと思うかは人それぞれだと思いますが、
ネットの世界でブログの更新が1年もなかったということはあまりいい印象を与えないでしょう。
しかしだからと言ってこの1年、私たちは何もしてなかったかというとそういうわけではありません。
毎日、目の前にいる人と、迫りくる時間と、時には容赦のない睡魔と闘いながら仕事をしていました。
そして気づけば更新する日が今日となってしまったことをお詫び致します。

さて、今日は1つお知らせしたいことがあります。
attikuから新しい商品が販売されました。
詳細は商品ページを見ていただければお分りいただけると思いますが、トートバッグになります。
このトートバッグに付いている漆のホックについて少しお話をしたいと思います。
新商品についているホックボタンには漆が塗られています。これ、実はすごいことなんです。
attikuの関連会社、浮田産業(株)の人間が、金属に漆を塗った商品を開発したいと思い立ったのが14年前。
当時、漆の知識なんて全く持ち合わせていない人間が福井まで足を運び、協力してくれる職人さんを探しました。
金属に漆を塗るためのプライマー(接着剤のようなもの)の開発をお願いし、
試行錯誤を続けた結果、理想としていたものが完成し展示会に並べることが出来ました。
そこから月日は流れ、2013年に浮田産業(株)が50周年を迎えるタイミングで
オリジナルのかばんを作ることになりました。
そこで漆のホックを付けたいと思い、職人さんに再度お願いしました。

漆塗りと一言で言っても、そのやり方にはいくつかの手法があります。
もともと漆は樹液で、無色透明なものです。この樹液に特殊な液体や顔料を混ぜて色を作り出します。
黒漆(漆黒)や赤漆などをよく目にする機会が多いと思います。
その樹液を全体の8%未満しか含んでいないものは漆塗装。
樹液が20%程度のものは漆塗り。よく耳にする漆塗りとは一般的にこのことです。
そして、樹液が80%を超えるものは本漆(ほんうるし)といわれます。
本来、樹液が浸み込むものが原則ですが、今回のホックはプライマーが金属と樹液をつなぎ合わせてくれています。

今回のattikuのミニトートには本漆のホックボタンが付いています。
このホックはとても小さいことに加え、機械では漆を塗ることが不可能なのでひとつひとつ手作業となります。
こちらの強い要望に応えてくれた職人さんの苦労があって仕上がったホックです。

こうして何年、何十年にも渡って人と、技術と想いのこもったトートバッグが出来上がりました。
ぜひ皆様にもこの商品をお手に取ってもらうことが出来たら幸いです。

ではまた、次回のブログでお会いしましょう。

芸術のコラボ

少し時間が経ってしまった。
慌しい日が続いて、やっとブログを書こうと思えた。
ご案内にもあったようにこの夏は豊岡市と一体となって写真展を企画・開催した。
増浦氏とはかなり濃くて、深いお付き合いをさせて頂いている。
共に好きなものがよく似ている。ビックリするほど。
多少言葉足らずで通じる気安さがある。
その増浦氏の『神の宮』の作品集より以前の、もう一つの代表作『GENESIS』がある。
イタリアの国宝であるミケランジェロの彫刻をアート作品として7年の歳月をかけて撮影したもの。
氏の作品には共通点がある。
ライカのカメラを使い、フラッシュを使わず月や星の光の光源のみで撮影して、それを自分たちの手でプリントする。
その『GENESIS』の作品から20点が浮田産業のTRUSPAビルに収められている。
氏自ら場所を選び、位置を選んで一緒に汗をかいて掛けた。

8月に豊岡市役所稽古堂で開催した『神の宮』写真展は伊勢神宮と出雲大社の遷宮の写真をご覧頂いたが、終了後、突然TRUSPAにお客様がお見えになった。
なんと、日本フィルハーモニー交響楽団のソロコンサートマスターで東京音楽大学教授の木野雅之氏と神戸女学院大学 音楽部音楽科長の佐々由佳里教授がお越しになった。
その際に木野氏が1776年製のロレンツォ・ストリオーニの名器で演奏して頂いた。
建物の一角で申し訳ないくらい狭いところではあったが、ミケランジェロの写真の前での演奏は、天井の低さもあって、大きく反響し、またストリオーニのバイオリンがまろやかでいて凛とした響きを奏でていた。
最も贅沢で、至福の時間を社員と共に共有できた事に感謝したい。
その時の様子を佐々教授が撮影されていたので、無理を言って画像を頂戴した。

IMG_0238

不思議なご縁で、我々も驚いている。
これも神様の縁結びなんだろうか?

 

浮田 昌宏

増浦行仁氏 プロフィール

増浦行仁 Yukihito MASUURA

写真家

1963年生まれ。少年時代にカメラと出会い「一流の写真家になる」と決めた増浦行仁は、1981年、18歳でパリ行きの片道切符を手に日本を飛び立ち、伝説の写真家ギィ・ブルダン(VOGUE Paris)のアシスタントとなる。またマイヨール美術館の創設者であるディナ・ヴィエルニ女史の知己を得、写真によって立体という彫刻作品に新たな生命を吹き込むことに開眼する。日本に帰国し、一度挫折しかけたが再度パリに戻り、写真家としてマイヨールに挑む。その作品はディナ女史の評価を得て、マイヨール美術館の収蔵作品となり、さらに1987年にサロン・ドートンヌを受賞。ルーブル、オルセー等フランスの各美術館における撮影許可を取得。マイヨールと同じポスト印象派の巨匠であるブルデル、ロダンを撮影し、いずれも各美術館の収蔵作品となる。1998年にはフランス国立図書館に作品31点が永久保存される。1994年〜2001年ミケランジェロの彫刻作品を撮影。それらは、カーサ・ブオナローティ(ミケランジェロ美術館)の館長でミケランジェロの世界的権威でもあるピーナ・ラジョニエリ女史に認められ、2002年、同館初の写真展『GENESIS 彫刻家ミケランジェロ』を開催。イタリアのメディアから“マエストロ”と絶賛される。翌2003年、東京都写真美術館にて『GENESIS ミケランジェロの詩と光彩』を開催。皇后陛下の行啓を賜る。2006年より特別に許可を得、伊勢神宮「第62回神宮式年遷宮」の撮影ならびに2008年より出雲大社「平成の大遷宮」の撮影をそれぞれ開始する。2013年5月に出雲大社、10月に伊勢神宮の正遷宮(神体の渡御)が行われるまで撮影に従事。これらの撮影作品は『神の宮』として2013年より国内外で巡回展を開催。同時に日本の精神文化、その自然観と伝承知による地球40億年の生命の継承を伝える一般財団法人「神の宮共働態」を結成。2016年「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を全て撮影(2017年ユネスコ世界遺産登録)。

出版物:写真集『GENESIS』『天狗の棲む山』『神の宮 伊勢神宮・出雲大社』『起源』、関連書『おれは土門拳になる〜“奇跡の光” にたどり着いた写真家・増浦行仁の生き方〜(村尾国士/著)』

提供:Office MASUURA .inc

神に選ばれた写真家、増浦行仁氏とのご縁。

私を、株式会社attikuの創業に駆り立てたものの一つに、
世界的な写真家・増浦行仁(ますうらゆきひと)氏とのご縁があります。
増浦氏と当社との直接のおつきあいは、
伊勢神宮の式年遷宮・出雲大社の平成の大遷宮という御神事を、
増浦氏によって撮影された写真作品集「神の宮 特装版」の企画・製作に、
当社の母体である浮田産業株式会社が、
携わらせていただいたことが始まりでした。
まず、こちらがどのように「特装」かと申しますと、
増浦行仁氏撮影の伊勢神宮・出雲大社の両遷宮の全写真作品123点が
「手すきの和紙」にプリントされ、
「漆塗りの外箱」に納められ、
「組み紐」がかけられ、
「丹後ちりめんの風呂敷」で包まれ、
「アルミ(ジュラルミン)ケース」に収納されているという、
まさに日本の文化と伝統技術が結集した芸術品と呼ぶにふさわしい品。
そして、そのすべてが、私どもと古くからお付き合いくださっている
日本国内の職人さん達の手による、「技」と「魂」の結晶だったのです。
当初こちらは、2016年5月に開催された伊勢志摩サミットの記念品として
参加国元首にお持ち帰りいただく「おみやげ」として企画されたという経緯から
私たちはその誇りと愛情をこめて、これを「玉手箱」という愛称で呼ぶようになりました。
のちに東京大学出版会と当社から「神の宮 特装版」として販売させていただいています。

<協力会社のみなさまに心より感謝申し上げます>
「和紙」有限会社やなせ和紙
「漆塗りの外箱」 有限会社みさき創屋 越前漆器株式会社
「組み紐」きもの百貨 イトカワ
「丹後ちりめんの風呂敷」 田勇機業株式会社
「アルミケース」 ヒロセ工業株式会社 株式会社伊藤ケース製作所

(敬称略)

私たちは、この企画・製造を通して、増浦氏の作品のすばらしさはもちろん、
写真家として妥協のないお仕事ぶりに深く感銘を受け、
敬意をもって触れさせていただく一方で、
モノづくりのパートナーとしていっさいの気取りなく接してくださる
率直で純真なお人柄に強く惹かれるようになりました。
そして、氏の写真作品を、お一人でも多くの方にご覧いただきたい、
お一人でも多くの方のお手元にお届けしたいという思いに駆られ、
私どもの技術とネットワークをフルに駆使して
その「仕組み」と「入れ物」づくりに取り組んでいく決意をした次第です。

増浦行仁氏は、ミケランジェロをはじめ、マイヨール、ロダン、ブルデルなど
偉大な芸術家の作品の撮影を正式に許可された世界的にも数少ない写真家の一人であり、
伊勢神宮の式年遷宮・出雲大社の平成の大遷宮をはじめ重要な御神事を撮影することを許された
世界でただ一人の写真家であることを申し上げれば、
私が最初に「神に選ばれた写真家」という、
少し畏れ多い言葉を用いたこともお許しいただけるのではないでしょうか。
ただ、「選ばれた」という言葉にはどこか受け身的な印象がありますが、
実際はそれとはほど遠いものであることを付け加えさせていただきます。
11歳の時に初めてのカメラを手にした瞬間から、
ただひたすらに求め続けた、氏のたゆまぬ努力と純粋な情熱が、
出逢うべき人との奇跡的な出逢いを引き寄せ、つき動かし、
降り注ぐ光さえもが味方する、唯一無二の写真家になられていた、
と申し上げるのが正しいと思います。
私たちは、この偉大な写真家であり、愛すべき友人である
増浦行仁氏とのご縁をいただいたことに深く感謝し、
氏の作品に大切に向き合ってまいりたいと思います。

浮田昌宏

兵庫のガラパゴス?!豐岡というマチが育むモノづくり魂。

私たちが暮らすココ「豊岡市」は、兵庫県の北部(但馬地方)に位置し、
北は日本海、東は京都府に接する人口81,391人(H28・10・1)の地方都市です。
県外の皆様にとっては兵庫県というと神戸や甲子園のイメージが強く、
え?日本海側もあったの?という感じかも知れませんね。
実は、ここ豊岡は、廃藩置県では兵庫県に属さず
「豐岡県」という独立した県だったというほど、
気候も文化も言葉も南部とは異なるエリアです。
そう!言葉もいわゆる関西弁とは異なり但馬(たじま)弁です。
「だから」は、関西で「そやから」となりますが、
但馬弁では「だしけぇ」です。ぜんぜん違いますね(笑)。
自動車などなかった昔のことですから
険しい山で隔てられていた南部より、むしろ
北前船などの海運で交流のあった、北陸や東北地方の言葉や文化と
共通点があるのかもしれません。

徐々に高速道路が伸びつつある現在でも、
京阪神からは車で約2時間30分くらいかかる
関西における、ちょっとした秘境という感じですが、
有名な城崎温泉、神鍋スキー場、出石城下町、
これすべて兵庫県豐岡市(但馬地方)にあります。
豊かな自然が自慢で、但馬牛や松葉ガニなど美味しいものもいっぱい。
国の特別天然記念物コウノトリの生息地でもあります。

その一方で、豊岡市には300を越えるカバン関連企業があり
国内生産の80%のシェアを占める鞄(かばん)産業を担っています。
私たちattikuの関連会社「浮田産業株式会社」も、
豊岡の鞄産業に携わって60年を迎えます。
なぜ豊岡で鞄かといいますと、そのルーツは但馬地方に古代より伝わる
柳行李(柳細工のトランクのようなもの)づくりの技術のようです。
江戸時代には豊岡藩の独占取扱品として、柳行李の生産が盛んでした。
明治になり材質こそ新しいものが取り入れられるようになりましたが、
「モノを入れて運ぶための丈夫で美しい入れ物=鞄」づくりが
豊岡の産業として定着するようになったようです。

柳行李の時代から、親から子へ、師匠から弟子へと
脈々と受け継がれるモノづくりのDNA。
そして、昔は雪で閉ざされていた但馬の冬の気候が育んだ、
「必要なものは自分で作る」「大切に修理して使う」という
孤高で堅実なこだわり。そんな但馬人の愛すべき感性が
私たちattikuにも息づいていることを信じて、
この豊岡から、全国・全世界の皆様に、
ステキなものをお届けできたらと夢を膨らませています。

attikuという社名のヒミツ。

attikuはどう読むの?どんな意味?
って聞かれることがある。
会社を作るには定款というものを作り登記という作業が必要。
従って一番最初に会社名を決めなければならない。

浮田産業株式会社からのスピンオフということもあり、
漢字の並びは避けようと思った。
また、WEBの販売を考えていたためカタカナも無し。
早速アルファベットの文字を探る。
言葉の持つ意味がなんでもいい訳ではない。

そこで候補に挙がったのが
屋根裏部屋という意味の「attic(アティック)」。
ものづくりを、伝統と先進技術を織り交ぜていくためにも
「屋根裏部屋」という言葉が子供の頃の秘密基地みたいでワクワクした。
いろんな角度で調べてみたが、
すでにatticやアティックという会社はたくさん存在する。
何よりも普通の英単語のためドメインが取れない。
思い込みなのか、もう頭の中はすっかりアティック。
ドメインのこともあり、当て字でattikuに。

そして実はもう一つの秘密が。
「attiku」を逆さまから読むと。。。

我々の熱い思いと茶目っ気が盛り込まれたこの社名。
皆様にも親しんでいただけるよう頑張ります。

人生で初めてブログを書く。

人生で初めてブログを書く。
日記だったり、つぶやきだったり、自由に書いて良いらしい。
不定期ではあるが近況を語っていこうと思う。

私は勇気を持ってattikuという会社を作った。
人は、会社は簡単にできると言う。
手続きは簡単でも
会社を立ち上げることには覚悟が要る。
それでも賛同してくれる人や会社があって勇気を出せた。
何をする会社ですか?とよく聞かれる。その度に返事に困る。
やりたい事をやりたい。人が喜ぶ顔が見たい。
そんな想いで、賛同してくれる近くにいる人達と手を繋いで、
少しずつ知恵を出し合って
自分自身も欲しいと思えるものを作っていく。
そんなことから始めます。

attikuのロゴは何に見える?
バス?家?電車?色々なものに見えるらしい。
私たちが住む豊岡市はカバンの街。
カバンのファスナーの引っぱりに見えたりもする。
ただ、私がこだわったのは、シンメトリーなロゴ。
今の流行りはシンメトリーではないらしい。
ずっと、ずっと会社が続いていく事を願い、
またシンメトリーなものがもてはやされる時代が来るまで
この会社が続く事を願い、何にでも見えるロゴにした。
これから末永くattikuをご贔屓に。

代表取締役 浮田昌宏